神奈川大学附属中・高等学校 PTA緑会 公式ホームページ

インタビュー連載「教えて先生!」
生徒部長 大塚禎先生 編(其の弐)
インタビュアー:令和五年度 PTA「緑会」会長 植田敦

「学生時代は、全国ベスト4、得点ランキング全国2位」
―ここからは、先生の小さい時からの話を伺っていこうと思います。
まず、先生はどちらのご出身ですか?
私の出身は長崎なんですよ。長崎市内で育ちました。
―関東の人間がすぐ「九州男児」と一括りにして怒られてしまう(笑)長崎のご出身なんですね。
いつ頃から体育の先生になろうかなと思われていたんですか?
実は、私は小学校の時から体育の先生になりたいなぁと思っていたんです。
―そんな小さい時からですか!
そうなんです。
―じゃぁ、ずっと部活に力を入れてこられたんですか?
はい。中学の時に、本当は野球がしたかったんですが、
野球部がなかったんで、バスケ部に入っていました。
すごい怖い先生がいたんですが、バスケットにはまって、全
国大会にも行っていました。
―やっぱり運動神経がよかったんですね。
実は父親がバスケットをやっていて、国体とかにも出ていたんです。
でも別に父親からバスケをやれとは一度も言われなかったんですけどね。
―そのときの成績はどうだったんですか?
一応、九州で1位、全国でもベスト4にはいりました。
得点ランキングも全国で2位だったんですよ。昔の話ですけどね。
―すごいっ!!ポジションはどこだったんですか?
今でいう4番っていう感じですかね。
―赤木とおなじパワーフォワードですね。
そうなんですよ。僕もスラムダンクが大好きです。

―中学でそのバスケットの成績だったら、いろんな高校からスカウトが来ませんでしたか?
はい、福岡の高校からもお誘いがあったんです。
でも、やはり地元の高校がいいということで、本来は長崎商業というスポーツの強い高校に行くところだったんですが、父親が、「教員になりたいんだったら、長崎東高校に行ったほうがいい」という助言をしてくれて、仲のいい友達と長崎東に行くことになったんです。
―長崎東といえば県内で一番高いレベルの高校ですよね。
よくご存じですね。はい、東大にも受かる高校です。1学年500人くらいいました。
―勉強も大変だったんじゃないですか?
いやー、本当に大変でした。夏休みといったって、朝一から夕方4時まで講習があるんです。お盆以外ずっとですよ。
部活はそのあとにやるんです。
―じゃぁ大学は結構いいところも狙えたんじゃないですか?
体育が強い筑波か、地元の長崎大学も受けようと思っていました。こうみえても40人中35人は女子の優秀なクラスに入ってましたし。
でも、高校時代も国体に行くくらいの選手ではあったんですが、一度、日本のトップを見てみたくなったんです。
その当時の日本のトップは日体大です。どうしても日体に行きたくて、就職していた兄と姉に相談して、日体に行くことにしました。
―実際、日体大に行ってみてどうでしたか?
やっぱりすごかったですね。もちろん全国トップレベルの選手ばかりです。全日本の選手もいて。
バスケ以外でも、大学の中で「JAPAN」っていう日本代表のジャージを着てるいろんなスポーツの学生がいるんですよ。
日本のトップスポーツ選手が集まっているというところで、本当にいろんな勉強をすることができましたね。
―日体を卒業されて、すぐ神大附属の先生になられたんですか?
いえ。実は、長崎に戻ろうと思っていて、長崎の教員になろうとしたら、募集がほとんどなかったんですよ。
200人受けて1人か2人が受かるみたいな。だから、1年間大学の専攻科に残ってもう少し考えてたんです。
そうしたら、神奈川の100校計画※の時期と被って、神大附属も設立されるというタイミングで、なんとかこちらにお世話になることができました。
※高校百校新設計画は、70年代から80年代にかけての神奈川県で計画・実施された県立高等学校の増設事業。

何か中高時代に1つでも「これがやりたい」っていうものが見つかれば。。。
「諦めたら試合終了」です
―神奈川大や筑波大出身ではない先生が設立初年度に採用されるのは結構珍しいお話しですね。
私の場合、学長推薦をいただいていたこともあったのか何とか採用していただきました。
当時はまだ男子校だったんですが、すぐ高校の担任になったんです。
23歳で教員初年度でしたから、何をしていいか全くわからなかったですね(笑)
今でも覚えてるんですが、最初の保護者面談のときに、ある生徒のご両親がおふたりとも同じ教員をされていたんです。
こっちが面談されているようで、ずっと冷や汗でしたね(笑)
ーでも新しい学校に若い先生で、生徒には親しみやすかったんじゃないですか?
高校生からみたら、お兄さんくらいでもいい年でしたから、そういう意味で生徒とはすごい距離が近く接することができましたね。
ー先生のご経歴からすると、神大附属の部活は何か物足りなくなかったですか?
時代が違いますからね。でも、僕が進学校の高校に行っていたことが今生きていると思います。
勉強も頑張るし、部活も頑張るという神大附属と同じような学校だったことが今思うといい経験になっていると思います。
別に部活じゃなくてもいいんですよ。何か中高時代に1つでも「これがやりたい」っていうものが見つかれば。
神大附属は、その子が「これをやりたい」っていうことに没頭させてあげられる環境があります。これは昔からなんです。
その「これがやりたい」っていうことを追求するためにも勉強が必要だってことが逆算してわかることもありますし。
とにかく、若いんだから、あきらめないでやり続けてほしいですね。
スラムダンクのセリフを使わせてもらえば、「諦めたら試合終了」ですから(笑)
最後はスラムダンク湘北高校の安西監督の名ゼリフが飛び出しましたが、
大塚先生の昔を知る人は、「先生の若いころは怒るとホント怖かったよ」とよくおっしゃします。
「生徒が大好き」というオーラがあふれている今の穏やかな大塚先生からは想像がつかないですね(笑)
安西先生も大学監督時代は「ホワイトヘアデビル」といわれ、桜木花道が入部した時には「ホワイトヘアブッダ」と呼ばれていましたから、現役時代にすごいバスケット選手だったという意味でも大塚先生と安西先生のイメージが被るインタビューとなりました。
会長として学校でPTA活動をしていると、大塚先生を尋ねてくる卒業生によくお会います。それだけでもお人柄がしのばれますが、
大塚先生が送り出した卒業生が神大附属の教員となって戻ってきたり、大塚先生の教え子のお子さんが神大附属に入学されたり、この学校の長い歴史を感じる場面が多々あります。
この学校を最初から知る生き字引のような先生には、いつまでもこの学校と生徒、卒業生を見守っていて頂きたいと思います。